marc-anthony:


Marc-Anthony Lecky 
All Content © 2011
flickr
funnywildlife:

wtf!
k15h1:


Toshirou Kawase

passionflower:

嫌いなものを論理的に語れる人よりも、

好きなものを感情的に語れる人の方が

魅力的に見えるってもんです。

catastrofe:

gif night (always suspected)
konishiroku:

suzukichiyo:

erewwa:

nyanpiyopiyo:

usaginobike:

johnnychallenge:

suyhnc:

tigermobile:

graphic-equalizer:

dyed:

tknns:
this is mukai shutoku

無理難題から逃げずに
自分の限界を広げる

映画『ラストエンペラー』への出演依頼が来たのは『戦場のメリークリスマス』の3年後、1986年です。撮影現場には名だたるプロばかり。僕はたくさんのダメ出しをされながら何とかついていく。北京、大連、長春と撮影が続く中で、ベルナルド・ベルトルッチ監督は、溥儀(ふぎ)が満州皇帝として即位する場面に生の音楽を入れたいから「戴冠(たいかん)式の音楽を、すぐに作れ」と僕に言うのです。

それまで役者として参加していたのに本当にいきなりで、しかも僕は中国の音楽をほとんど聴いたことがない。せめてピアノが欲しいと頼んで旧満州映画協会から借りました。ここでも引き下がりたくなかったのです。

撮影が済んでから半年、今度は『ラストエンペラー』の音楽を作れ、とまた急な依頼が飛び込んできました。制作期間はなんと1週間だという。何とか頼み込んで2週間にしてもらったものの、むちゃもいいところです。ただそれを押してでもやりたいと思わせる才能あふれる監督だったのですね。普通、人間は自分で自分に無理難題を出すことはない。「我に七難八苦を与えたまえ」なんて思う人はほとんどいない。けれど他人はやるんです。映画監督はとくに常軌を逸してるけど、でもそういう人と仕事をすることが自分の限界を広げる重要な機会になってくる。幸運なことに思いもつかない仕事をやれと言われたら、まず自分をそこに投げ込むことです。

その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

amnemonic:

1322570654576.png
もみぞうさんのねこ板より。 http://momi6.momi3.net/nk/写真集「みさおとふくまる」かららしいです。あ、悩むのに疲れたから、クリスマスプレゼントこれにしようっと。

121 名前:無情男[] 投稿日:2008/12/02(火) 15:33:08 ID:W0s8u+Zq
東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、
東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしく
ボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、
俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと
喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

alecshao:

Gerhard Richter